ー近・現代ー
シベリウス(ジャン・シベリウス)
1865年12月8日~1957年9月21日
国籍:フィンランド
外科医の息子としてハメーンリンに生まれたシベリウスは、両親とともにスウェーデンの血を引いています。
幼少の頃より楽才を発揮し7歳頃からピアノを始めました。
10歳ですでに作曲を試み15歳でヴァイオリンのレッスンを受け始めました。
親の意思を汲み1885年ヘルシンキ大学の法学部に入学しますが、音楽家への夢を断ちがたく
ヘルシンキ音楽院の特別生となりヴァイオリンをシラッグに作曲をヴェゲリウスに師事します。
その後大学は中退したものの音楽は続け、23歳の卒業作品で奨学金を受けベルリンに留学。
ベッカーに理論を師事し、ウィーンにも留学しフックスとゴルトマルクに作曲を師事します。
92年交響詩『エン・サガ』を書き上げ、同年ヘルシンキ音楽院の理論の教師に就任。
97年には早くも政府から終身年金の贈与を受けました。
99年交響曲『フィンランディア』を作曲。
1900年オーケストラを率いてパリ万国博覧会に参加。
02年『交響曲第2番』を作曲しますが、この辺りから耳の疾患に悩み始めます。
04年からはヘルシンキ郊外のヤルヴェンパーの山荘(アイノラ)で隠遁生活を始め
『交響曲第3番』『第4番』を作曲しました。
その後、第1次世界大戦が始まりそれまで関わっていたドイツの出版社と交流が途絶え
収入源に見舞われるなか、15年に生誕50周年記念の国家的祝賀会が開催されます。
この年『交響曲第5番』も発表されました。
その後も重要な交響曲が続き、25年には交響詩『タピオラ』25年には劇音楽『嵐』を作曲。
しかし29年64歳の時に筆が途切れ、57年脳溢血のためヤルヴェンバーの地で91歳で死亡。
葬儀は国葬となり、世界中の音楽関係者からの弔意の中でとり行われました。
シベリウスは後期ロマン派やロシア音楽の影響を承けつつも、個性的で民族的な
しかし洗練された作品を書いたフィンランド国民音楽最大の作曲家といえるでしょう。
♦主要作品♦
【交響曲】第2番 第5番 第7番
【交響詩】エン・サガ レンミンケイネン フィンランディア タピオラ
【協奏曲】ヴァイオリン協奏曲 【付随音楽】ペレアスとメリザンド