ー古典派時代ー
ハイドン(フランツ・ヨゼフ・ハイドン)
1732年3月31日~1809年5月31日
国籍:オーストリア
オーストリア東部のローラウに車大工の子として生まれたハイドンは
5歳ころ父親の義弟のもとで最初の音楽教育を施されました。
その後、聖シュテファン教会の合唱長ロイターに見出され8歳の時この教会の合唱隊員となります。
しかし17歳で変声期を迎えた彼は退団を余儀なくされ、その後は音楽の家庭教師をしたり
流しのセレナーデ楽団に加わってヴァイオリンを弾いたりしながら独学で作曲を学びました。
51年初めてミサ曲を作曲し、53年21歳の時にはポルポラに師事します。
そしてフェルンベルク男爵家に仕えながら喜歌劇や四重奏曲を書き作曲家としての実績を築きました。
59年モルツィン伯爵家の楽団の楽長になりこの時期に『交響曲第1番』を作曲。
60年、年上のマリア・アンナと結婚。(この女性は音楽嫌いで、嫉妬深く口やかましく
その上、家計の切り盛りも苦手でした)モルツィン伯の楽団が経済的理由から解散になった後は
61年モルツィン伯の推挙でエステルハージ公爵の楽団の副楽長となり66年に楽長に昇格しました。
管弦楽団を訓練しつつ交響曲の作曲や、教会音楽、歌劇、弦楽四重奏などの分野で多彩な活動を繰り広げ
ヨーロッパ各地で彼の作品が出版されるようになりました。
80年代後半になってハイドンは、自分が推し進めていた古典派音楽の形式的な完成を
『パリ交響曲』第82番~87番でみます。
90年ニコラウス侯が亡くなり楽団は解散。しかし名誉楽長の肩書きと年金を保証されました。
91年と94年はロンドンへ演奏旅行。興行師ザロモンからの依頼で『ザロモン交響曲』を作曲し
オックスフォード大学より音楽博士の名誉学位を授けられます。
96年、再度宮廷楽長の地位を得ますが多くの時間はウイーンにありました。
98年『天地創造』1801年『四季』などオラトリオの傑作を発表し
09年幸福な晩年生活の中で77年の生涯を閉じました。
彼は敬虔なカトリック教徒で円満な人柄だったということもあり、明るくユーモアに富み
人間味にあふれ均整の取れた作品を多数残しました。
機能和声をもとに楽曲形式を確立し、その作品は2つの主題とその発展を伴う三部からなるソナタ形式で
後のモーツァルトやベートーヴェンに多大なる影響を与えました。
主要作品
【管弦楽曲】交響曲第45番『告別』94番『驚愕』100番『軍隊』101番『時計』
十字架上のキリスト最後の7つの言葉 【オラトリオ】『天地創造』『四季』
【室内楽曲】ロシア弦楽四重奏 クラヴィーア・ソナタ第1~52番
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