ーロマン派時代ー
マーラー(グスタフ・マーラー)
1860年7月7日~1911年5月18日
国籍:オーストリア
ボヘミア東のカリシュトに酒の蒸留所の子として生まれたマーラーは
6歳の時からピアノを習い、10歳でリサイタルを開くほどの楽才がありました。
1875年故郷を出てウィーン音楽院に入学し、エプシュタインにピアノをクレンに作曲を師事。
またウィーン大学で哲学や歴史を聴講し、ブルックナーに対位法も習い78年音楽院を卒業しました。
その後、ピアノ教師の傍ら80年に『嘆きの歌』を作曲しベートーヴェン賞に応募しましたが落選。
しかし21歳の時からライバッハ市立歌劇場、オルミュッツ歌劇場
ライプツィヒ市立歌劇場などの指揮者を歴任。
その間に作曲もし『さすらう若人の歌』などを発表しました。
88年28歳の時、ブダペスト王立歌劇場正指揮者、芸術監督に就任。
この歌劇場の再建に貢献しますが困難も多々ありました。
89年最初の交響曲が初演されましたが不評。
その後、91年ハンブルク市立歌劇場の正指揮者になり94年には交響曲第2番『復活』が作曲されました。
97年にはハンブルグを去りウィーン宮廷歌劇場の指揮者、総監督に就任。
この歌劇場の黄金時代を築きます。
こうしているうちに着々と作曲も進め、第4番、第5番、第6番、第7番の交響曲も生み出しました。
『亡き子を偲ぶ歌』は娘の死の3年前の作品です。
1907年には宮廷歌劇場を辞してアメリカに渡り、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場での仕事や
ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団を指揮します。
10年には交響曲第8番『千人の交響曲』が初演され名声を不動のものとしました。
しかし11年、連鎖状球菌がもとで敗血症を患い、療養のためウィーンのサナトリウムに行きますが
回復せず尿毒症もおこし50歳で息を引き取りました。
マラーの生涯は殆ど指揮者でありましたが、その合間に11曲の交響曲や40曲ほどの歌曲を書き
まさに後期ロマン派の代表的な交響曲作曲家でありました。
最初ワーグナーに心酔していましたが、人間の生と死を深く見つめ無常感を漂わせた
神秘的で崇高な世界を築いていきました。
♦主要作品♦
【交響曲】第1番「巨人」 2番「復活」 5番 6番「悲劇的」 7番「夜の歌」 8番「千人の交響曲」
【声楽付き管弦楽曲】さすらう若人の歌 カンタータ「嘆きの歌」 亡き子を偲ぶ歌 大地の歌
【声楽曲】子供の魔法の角笛