山崎あいこピアノ教室

姫路市網干区のマンツーマンレッスンのピアノ教室です

[音楽の便り] 偉大なる作曲家vol.38

March 28, 2013

ーロマン派時代ー

 

ドヴォルザーク(アントニン・ドヴォルザーク)

 

1841年9月8日~1904年5月1日

国籍:チェコ

 

 

 

プラハの近郊ネラホゼヴェスという町で肉屋兼業の宿屋の子として生まれたドヴォルザークは

小学校でヴァイオリンをはじめ多くの楽器について学びました。

音楽への情熱が強かった彼は、家業を継がせたかった父の反対を押し切り

16歳の時プラハに出てオルガン学校に入学します。

演奏法や理論を学び2年後に卒業すると、宿屋やレストランで軽音楽を演奏するバンドに参加。

それと共に作曲も始めました。

 

 

 

その後1862年チェコ独立運動の中でプラハ国民劇場が創設され、そこのビオラ奏者になります。

(66年からはスメタナが指揮者を務めます)

こうした時期にも交響曲第1番『ズロニツェの鐘』などを作曲。

72年には合唱と管弦楽のための賛歌『白山の後継者たち』で注目を集めました。

しかし、この翌年に結婚をし3人の愛児を次々と亡くす悲劇に見舞われます。

そのような中から77年『スターバト・マーテル』が生まれました。

 

 

 

この時期の生活状況はオーストリア政府からの奨学金支給で安定していましたが

77年にはブラームスに認められた上、翌年『スラブ舞曲第1番』が出版され

国内外で有名になります。

80年には『ヴァイオリン協奏曲』が書かれ84年にはイギリスでの演奏会でも成功を収めます。

85年にはロンドン・フィルハーモニー協会の為に『交響曲第7番』を作曲。

この頃より生活に余裕が生まれてきました。

 

 

 

91年からはプラハ音楽院の教授に就任し作曲を教え始めます。

この時期はカレル大学から名誉哲学博士号を、さらにイギリスのケンブリッジ大学から

名誉音楽博士の称号を贈られています。

92年にはアメリカに招かれニューヨークのナショナル音楽院の院長に就任。

在任2年の間に交響曲第9番『新世界より』弦楽四重奏曲第12番『アメリカ』など傑作を発表。

95年に帰国すると交響詩やオペラの作曲に従事します。

01年にはプラハ音楽院の院長に就任し、オーストリア政府から終身議員の資格を贈られました。

しかし04年腎臓や循環器系の疾患を併発。一時回復したものの脳卒中のため62歳で死去。

プラハの地で国葬となりました。

 

 

 

ドヴォルザークは初期にはワーグナーの影響を受けていましたが

やがてドイツ・オーストリアの古典音楽を取り組みながら祖国の民族音楽の語法を使い

独自な世界を確立していきました。

とくにアメリカ時代には黒人やインディアンの音楽に接する中で

ボヘミアの音楽や、郷土愛に目覚めそれを作品の中で表現していきました。

 

 

 

♦主要作品♦

 

【オペラ】ルサルカ  【交響曲】第8番「イギリス」  第9番「新世界より」

【協奏曲】ピアノ協奏曲  ヴァイオリン協奏曲  チェロ協奏曲  

【室内楽曲】弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」  ピアノ三重奏曲第1番~第4番

 弦楽五重奏曲第1番~第3番    【ピアノ曲】 ユモレスク  スラヴ舞曲集

Leave A Reply

*
*
* (公開されません)