ーロマン派時代ー
シューマン(ロベルト・アレクサンダー・シューマン)
1810年6月8日~1856年7月29日
国籍:ドイツ
シューマンは本屋・出版業を営み文筆活動も行なっていた父親の息子として
ツヴィッカウという小さな町で生まれました。
幼少の頃から楽才を示し、7歳くらいからは即興演奏や作曲もするようになりました。
父親はウェーバーの弟子にしてもらおうと手紙を書きますが返事はなかったようです。
1826年に姉の入水自殺や父の死去が続き苦悩の日を送りますが
その後、母の希望でライプツィヒ大学の法学部に進み翌年ハイデルブルグ大学に移りました。
しかし音楽への情熱は絶ちがたく30年ヴィークのピアノを、翌年ドルンに作曲を師事します。
31年、21歳の時『アベッグ変奏曲』が出版され、その後も『蝶々』のようなピアノ作品を発表します。
しかし32年無理な練習から指を痛めてしまったためピアノを諦め作曲に専念するようになりました。
34年には『音楽新報』という雑誌を創刊。父の血を引き執筆も盛んに行ないました。
やがて彼はヴィーグの娘でピアニストのクララに恋愛をし紆余曲折の末40年に結婚します。
そしてこの年には『詩人の恋』他多くの歌曲が生まれした。
翌41年には交響曲第1番『春』や4番など多くのオーケストラ曲が書かれ
42年には『ピアノ5重奏曲』などの室内楽作曲の年となりました。
43年メンデルスゾーンがライプツィヒに創立した音楽学校の教授に就任しますが
心身を悪くしたため1年で辞し、ドレスデンの合唱団の指揮者になりました。
この時期に『ピアノ協奏曲』が書かれ、
さらに50年にはデュッセルドルフ市の管弦楽団や合唱団の指揮者に就任し
交響曲第3番『ライン』『チェロ協奏曲』なども作曲します。
53年にはブラームスの訪問を受け『音楽新報』で彼を紹介する文章を書いています。
56年には精神の状態が悪化し46歳でこの世を去りますが
妻のクララは彼の作品を世に広めるため長きに渡って演奏活動を続けました。
♦主要作品♦
【管弦楽曲】交響曲第1番『春』 2番 3番『ライン』 4番
【協奏曲】ピアノ協奏曲 チェロ協奏曲 ヴァイオリン協奏曲
【室内楽曲】ピアノ3重奏曲第1番~第3番 弦楽四重奏曲第1番~第3番
【ピアノ曲】ピアノ・ソナタ第1番~第4番 アベッグ変奏曲 謝肉祭 幻想小曲集
交響的練習曲 子供の情景(7番トロイメライ) クライスレリアーナ
アラベスク 森の情景
【歌曲】リーダークライス ミルテの花 女の愛と生涯 詩人の恋