ーバロック時代ー
スカルラッティ(ドメニコ・スカルラッティ)
1685年10月26日~1757年7月23日
国籍:イタリア
ナポリに生まれたスカルラッティは、オペラ作曲家だった父アレッサンドロ・スカルラッティから
音楽の手ほどきを受け、1701年16歳の時にアレッサンドロが楽長をしていた
ナポリの王室礼拝堂のオルガニストに早くも就任しました。
その一方でオペラも作曲。03年『王位を回復したオッタヴィア』『ジュスティーノ』
さらに04年には『イレーネ』を発表。
彼も父と同様、オペラ作曲家として音楽活動をスタートさせました。
05年には、父の勧めでヴェネチアに向かいさらなる修行を積みました。
この頃ヘンデルと知り合った彼は、オルガンやチェンバロのテクニックを競い合い友情を深めました。
(オルガンではヘンデルが上ですが、チェンバロはスカルラッティが勝っていたとされています)
その後、09年からはポーランド王妃マリア・カジミェラに仕え、
彼女の所有するローマ劇場のためにオペラをいくつも作曲し、ジュリア礼拝堂楽長となりました。
14年、王妃がローマを去るとポルトガル大使のデ・フォンテス候の礼拝堂楽長にも就任。
この時期には『ト短調のミゼレーレ』や『スターバト・マーレル』といった宗教的作品が書かれています。
オペラの作曲も引き続き続けられローマやロンドンで上演され、
オペラ『エジプトの女王ベレニーチェ』はローマ在住時期の代表作といわれています。
20年、彼はポルトガルのジョアン5世の宮廷礼拝堂の楽長に就任。
王女マリア・バルバラにチェンバロを37年の長きに渡って教え
その間、彼女のために555曲ほどのチェンバロ・ソナタを作曲しました。
25年、父親が死去しこれを期に彼の作風は変わっていきました。
それまでのオペラや宗教曲などの声楽曲の作曲家から、個性的なチェンバロ曲の作曲家へと変化。
28年に王女がスペインの王子フェルナンドと結婚すると彼も随伴しマドリードに移り住みました。
そしてその地では多くのチェンバロ曲が出版されています。
38年ジョアン5世から『サンティアゴ勲章騎士章』を授けられ、72歳マドリードの地で死去しました。
鍵盤音楽においては、新しい技法を開発し、主題を2つ持つソナタも作り、
古典時代のソナタの先駆けであったと共に『近代鍵盤奏法の父』と呼ばれています。
ー主要作品ー
【オペラ】『プトレマイオスとアレクサンダー』(1711) 『ナルシス』(20)
【シンフォニア】1~17番 【チェンバロ・ソナタ】1~555番
【宗教曲】『ミゼレーレ』 『スターバト・マーテル』
山崎あいこピアノ教室
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