ー近・現代ー
R.シュトラウス(リヒャルト・シュトラウス)
1864年6月11日~1949年9月8日
国籍:ドイツ
ミュンヘン宮廷管弦楽団のホルン奏者を父に持つシュトラウスは、4歳から母にピアノを習います。
6歳で作曲もはじめ、その後ヴァイオリンをヴァルターに理論をマイヤーに師事します。
10歳でルートヴィヒス・ギムナジウムに入り、1882年に卒業。
在学中の12歳の時に『祝典行進曲』を、16歳で『交響曲』を書きブラームスに賛辞を贈られました。
82年から83年までミュンヘン大学で哲学と美術を専攻します。
入学して間もなく完成させた『ヴァイオリン協奏曲』は高名な音楽評論家ハンスリックも評価しました。
また、自作の指揮もするようになり、それをビューローに認められ
85年21歳にしてマイニンゲン宮廷管弦楽団の副指揮者となりました。
音楽家として順調なスタートを切った彼は、86年以降もミュンヘン宮廷歌劇場の第3指揮者や
ワイマール宮廷歌劇場の第2指揮者などを務めていきます。
その後94年の『グントラム』の初演に出演した歌手と結婚しました。
作曲が軌道に乗ると『ティル=オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』『ツァラトゥストラはかく語りき』
など傑作が続き、『英雄の生涯』を書いた98年からベルリン宮廷歌劇場の楽長に就任します。
その後、関心がオペラに移っていき『エレクトラ』はこの時期の作品です。
1909年には芸術院会員になります。
10年の『バラの騎士』以降はそれまでみられたワーグナーの影響から
古典主義的傾向が感じられる作品になります。
17年から3年間ベルリン芸術大学の教授も務め、19年からはウィーン国立歌劇場の総監督となります。
その後33年ナチスが政権を取った時設立された音楽局の総裁になりましたが
政府のユダヤ人排除運動に協力しなかったため辞職させられます。
晩年の彼は、ガルミッシュ・パルテンキルヘンの地で手に入れた別荘で過ごしましたが
ナチスに協力した嫌疑で軍事裁判にかけられました。
しかし無罪となり、その後は指揮などもしながら余生を送ります。
そして49年、同地で心臓発作を起こし85歳で亡くなりました。
♦主要作品♦
【オペラ】サロメ エレクトラ バラの騎士 ナクソス島のアリアドネ
【交響曲】家庭 アルプス
【交響詩】ドン・ファン 死と変容 ティル=オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら
ツァラトゥストラはかく語りき ドン・キホーテ 英雄の生涯