ーロマン派時代ー
サン=サーンス(シャルル=カミーユ・サン=サーンス)
1835年10月9日~1921年12月16日
国籍:フランス
サン=サーンスは内務省の官吏で素人文士だった父の元にパリで生まれました。
しかし生後2ヶ月で父を亡くしたため母と音楽家の大叔母に音楽的環境の中で育てられましたが
2歳半から大叔母マソンからピアノを習い、3歳半には作曲を開始するほどの神童ぶりでした。
7歳の時スタマティにピアノを、マルダンに音楽理論を習い
10歳でモーツァルトやベートーヴェンの『ピアノ協奏曲』をオーケストラ付きで公開演奏しました。
その後13歳でパリ音楽院に入学し、オルガンをブノワ、作曲をアレヴィに師事します。
そして1852年17歳の時ローマ大賞に挑みますが落選
しかし同年セント=セシル協会作曲コンクールに入賞します。
翌53年からサン・メリ教会のオルガニストをしながら作曲を続け
『交響曲第1番 変ホ長調』が初演されグノーから賞賛の言葉を贈られています。
サラ=サーテとの親交が始まったのは30歳頃で、国外への演奏旅行もしています。
67年万国博覧会記念コンクールにカンタータ『プロメテの結婚』が入賞し
68年「五等レジョン・ドヌール勲章」も授与されました。
71年には国民音楽協会を設立しフランスにおける交響楽の発展に貢献します。
『文学と芸術の再生』誌への執筆が始まったのもこの辺りからです。
74年には交響詩『死の舞踏』を作曲。
77年、聖マドレーヌ教会のオルガニストを辞し、後の数年には子供二人の死や妻との別れと
悲しみの日々が続く一方、オラトリオ『サムスンとデリラ』がリストの指揮で初演されたこともあり
ピアノの名手に加え作曲家としてもその名が広く知られるようになりました。
84年には「4等レジョン・ドヌール勲章」を授与され
86年には交響曲第3番『オルガン付き』や『動物の謝肉祭』といった名作が書かれています。
93年ケンブリッジ大学の名誉博士、1900年「2等レジョン・ドヌール勲章」
「レジョン・ドヌール大十字勲章」など多くの栄誉が降り注ぎます。
しかし晩年旅に出ることの多かった彼は、21年アフリカのアルジェのホテルで肺炎の為
86歳で亡くなり、聖マドレーヌ教会で国葬をもってその偉業が讃えられました。
サン=サーンスは初期にはベートーヴェンに傾倒し、後にワーグナーの影響も受けますが
基本的には古典主義的でありました。
彼の音楽は、端正で優雅さがあり、そして洗練された美しさに溢れています。
♦主要作品♦
【オペラ】サムソンとデリラ
【管弦楽曲】交響曲第3番「オルガン付き」 交響詩『死の舞踏』 動物の謝肉祭
【協奏曲】ピアノ協奏曲第2番・第3番 ヴァイオリン協奏曲第3番 チェロ協奏曲第1番
【室内楽曲】ヴァイオリン・ソナタ第1番・第2番 チェロ・ソナタ第1番・第2番