山崎あいこピアノ教室

姫路市網干区のマンツーマンレッスンのピアノ教室です

[音楽の便り] 偉大なる作曲家vol.31

January 24, 2013

ーロマン派時代ー

 

ブラームス(ヨハネス・ブラームス)

 

1833年5月7日~1897年4月3日

国籍:ドイツ

 

 

 

ブラームスは小間物商を営む元コントラバス奏者を父にハンブルクで生まれました。

最初は父からヴァイオリンの手ほどきを受け、7歳からピアノを学び

やがてマルクスゼンにピアノと音楽理論を師事します。

その進歩はめざましく、10歳の時には公開演奏をするほどになりました。

しかし、家計が貧しかったこともあり13歳頃から酒場でピアノを弾き生活を助けていました。

1853年にシューマン夫妻に会い、その才能を認められ世に出るきっかけを掴みます。

翌年シューマンが入水自殺未遂を起こして以来、シューマン家の世話をし婦人のクララを慰め続けます。

 

 

その後彼は55年に『交響曲第1番』を作曲開始します。

そしてデルモント侯爵邸の合唱団の指導をしたりハンブルクの女性合唱団を指揮したり

ピアニストとしての活動をしたりと精力的に動きました。

しかし、59年に発表した『ピアノ協奏曲第1番』は残念ながら酷評されてしまいます。

 

 

その後62年にブラームスはウィーンに移住しました。

そして翌年からウィーン・ジングアカデミーの指揮者を務めつつ作品を書いていきます。

65年の母親の死を機に『ドイツ・レクイエム』の作曲が加速し

68年の初演で成功を収め名声が高まり、72年からはウィーン楽友協会の芸術監督となりました。

そしてワーグナー支持派とブラームス支持派の対立が生まれたときは

自らは巻き込まれないようにし、翌年バイエルン国王より《功労勲章》を授与されます。

76年には『交響曲第1番』が着想から21年という年月の末、ようやく完成しました。

 

 

78年にはイタリアを旅行し、この時の印象は後の『ピアノ協奏曲第2番』の反映されます。

79年にはブレスラウ大学から名誉博士の称号を贈られこの返礼に『大学祝典序曲』が作曲されました。

85年には『交響曲第4番』が完成します。

そして89年にはハンブルクの名誉市民に推挙されオーストリア皇帝から《レオポルド勲章》を贈られました。

 

 

90年『弦楽5重奏曲 第2番』を書いた後、創作力減退を理由に遺書を書くものの

優れたクラリネット奏者との出会いから、クラリネットを伴う一連の室内楽曲を誕生させます。

しかし、クララが亡くなった辺りから急速に健康を損ね、97年には肝臓癌となり

63歳ウィーンの地で帰らぬ人となりました。

 

 

 

ブラームスはロマン派主義の時代にあって、古典主義的な音楽を書き

この時代隆盛であったワグネリズムに相対し、物語風の描写音楽は書きませんでした。

緻密で理論的で、感情表現にしても制御が行き届いた品の良い作品を残した作曲家でありました。

 

 

 

♦主要作品♦

 

【交響曲】第1番  第2番  第3番  第4番  【管弦楽曲】大学祝典序曲  悲劇的序曲

【協奏曲】ピアノ協奏曲第1番  ヴァイオリン協奏曲 

【ヴァイオリン曲】ヴァイオリン・ソナタ第2番 第3番  弦楽五重奏曲第2番

【合唱曲】ドイツ・レクイエム 【ピアノ曲】ピアノ・ソナタ第3番  パガニーニの主題による変奏曲

 ハンガリー舞曲集(連弾) 3つの間奏曲

 

 

 

 

 

 

Leave A Reply

*
*
* (公開されません)