ーロマン派時代ー
ウェーバー(カール・マリア・フォン・ウェーバー)
1786年11月18日~1826年6月5日
国籍:ドイツ
ホルシュタイン地方のオイティンで生まれたウェーバーは
モーツアルトの妻コンスタンツェの従妹にあたり、父親は地方巡業の劇団を主宰していました。
そのため幼少の頃より各地を巡歴し、学校教育こそ受けられませんでしたが
その行く先々で優れた音楽家に優れた音楽家に指示することが出来ました。
11歳では作曲を試み、17歳の時はフォーグラーに師事し
プレスラウ歌劇場の指揮者兼作曲者となりました。
しかしその2年後、この仕事を辞してからは不安定な生活の日々が続きましたので
やむなくオイゲン公とその楽団の指導をしたり、
ルートヴィヒ公の秘書兼子供達の音楽教師を務めたりしていました。
しかし、1813年にはプラハ歌劇場指揮者に就任し
モーツァルトやベートーヴェンなどの作品上演に尽力。
17年からはドレスデン宮廷歌劇場の指揮者となりドイツ語による歌劇を上演しました。
一方で作曲にも力を入れ、ピアノ曲『舞踏への勧誘』や歌劇『魔弾の射手』などの傑作を発表。
しかしこの頃より結核を患い体調を崩します。
26年『オベロン』上演の為に赴いたロンドンで病状が悪化し、39歳で帰らぬ人となりましたが
彼が、ワーグナーに至るドイツ国民オペラへの道を開拓した功績は非常に大きいといえるでしょう。
ー主要作品ー
【オペラ】アブ=ハッサン 魔弾の射手 オイリアンテ オベロン
【協奏曲】ピアノ協奏曲第1番・2番 【ピアノ曲】ピアノ・ソナタ第1番・2番 舞踏への勧誘