ー古典派時代ー
モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)
1756年12月7日~1791年12月5日
国籍:オーストリア
ハイドンと並ぶ古典派の大作曲家ヴォルフガングは、
ザルツブルグの大司教に仕える宮廷作曲家であり副楽長だったレオポルドの息子として生まれました。
幼少の頃より神童ぶりを発揮した彼は、父の指導の下3歳よりクラヴィーアを弾きはじめ
5歳にして作曲するなどし、まさに天才的な成長を遂げていきます。
彼の人生は6歳になる頃から旅の連続であり、ミュンヘン、ウィーン、フランクフルト、ブリュッセル
パリ、ロンドンなどヨーロッパの主要な都市でその非凡さを示していきました。
1766年にはザルツブルグに戻り、さらなる音楽理論の勉強にいそしみ作曲も続けていき
67年からは劇音楽の作曲も始めました。
69年にはイタリアへ赴き『ポントの王ミトリダーテ』や『アルバのアスカニオ』などのオペラで成功。
73年ウィーンではハイドンの音楽に接し大きな影響を受け
その後のモーツァルトはザルツブルグで協奏曲やディヴェルティメントなどの作曲をします。
76年にはザルツブルグの宮廷作曲家になりますが、翌年には辞め就職口を求めて母とともに旅に出ます。
しかしパリで母が病死したり、ウェーバー嬢と悲恋など、悲しみに満ちた時期となります。
それでも、交響曲第31番『パリ』やピアノ・ソナタ第11番『トルコ行進曲付』などの傑作を発表。
その後、79年ザルツブルグに戻り宮廷オルガニストに任命されますが
宮廷音楽家という職に対する不満や、父親との確執などが生じます。
81年ミュンヘンで行われた歌劇『イドメネオ』の初演後はザルツブルグ大司教と衝突し
ウィーンへの定住を決意しました。
82年には、ウェーバー嬢の妹コンスタンツェと結婚しますが
モーツァルトの浪費壁もあり徐々に財政は悪化していきます。
しかし作曲活動は旺盛になり、交響曲第35番『ハフナー』36番『リンツ』歌劇『フィガロの結婚』
などの名作を残し、87年には歌劇『ドン・ジョバンニ』が初演され、宮廷室内作曲家の称号を得ました。
91年、病魔に蝕まれていた彼は『レクイエム』の完成を待たずにウィーンの地で
リウマチ熱で35年の短い生涯を終えました(死因は未だ諸説あります)
♣主要作品♣
【オペラ】『イドメネオ』 『後宮からの誘惑』 『フィガロの結構』 『ドン・ジョバンニ』
『コシ・ファン・トゥッテ』 『魔笛』
【管弦楽曲】交響曲第35番『ハフナー』 36番『リンツ』 39番 40番 41番『ジュピター』
【協奏曲】ピアノ協奏曲20番 26番『戴冠式』 フルート協奏曲第1番
【ピアノ曲】ピアノ・ソナタ第11番『トルコ行進曲付』 第15番『初心者のための小ソナタ』