山崎あいこピアノ教室

姫路市網干区のマンツーマンレッスンのピアノ教室です

[音楽の便り] 偉大なる作曲家vol.10

July 20, 2012

ー古典派時代ー

 

サリエリ(アントニオ・サリエリ)

 

1750年8月18日~1825年5月7日

国籍:イタリア

 

 

 

イタリアのレニャーゴに油脂商人の子として生まれたサリエリは

幼少時からたぐい稀な音楽的才能を発揮します。

10歳でシモーニにヴァイオリンとチェンバロを師事しましたが

13,14歳と相次いで両親を亡くし境遇は悪化しました。

 しかし16歳の時ウィーンの宮廷作曲家ガスマンの知遇を得て弟子兼助手になり翌年にはミサ曲を作曲。

1770年20歳の時、最初のオペラ『女文士たち』が上演されました。

 

 

その後、74年にはガスマンが亡くなり

サリエリは宮廷作曲家とイタリア・オペラの指揮者に就任することになります。

それ以来、毎年のようにオペラを作曲していき

88年に初演された『オルムスの王アクスール』は空前のヒット作となりました。

その上、38歳の時には前任のボンノの引退に伴い宮廷楽長の地位を得ることとなります。

 

 

ところが91年、新皇帝レオポルト2世に嫌われたため、イタリア・オペラ指揮者を解任されてしまいます。

しかしその後も音楽家協会慈善演奏会を指揮したり作品を次々と発表したりもしました。

99年ベートーヴェンが弟子入りし、この年スウェーデン王位アカデミーの会員にも推挙されています。

 

 

そのように旺盛な活躍をしていた彼ですが、20年頃体調を崩してしまいます。

痛風や目の炎症に苦しむ日々となり、次の年には遺書まで書きました。

22年にはリストが弟子入りしますが、23年には肉体の衰えがひどくなり入院してしまいます。

24年、宮廷楽長が解任され年金支給が決まりましたが翌年老衰のため74歳の生涯を閉じました。

 

 

有名な話で、サリエリによるモーツァルト毒殺説があります。

モーツァルトの才能に嫉妬していたサリエリは、彼に地位を与えないように邪魔をした挙句

毒殺したという悪意ある中傷がなされましたが、

これはイタリア・オペラ支持派とドイツ楽派との確執が高まった時期に

反イタリア感情がピークに達した中で出てきた風説であり、定住イタリア人のサリエリが標的にされ

 あげくに彼が罪を告白し自殺未遂したという誤報まで流されました。

 

 

 

 

主要作品

【オペラ】オルムスの王アクスール  ファルスタッフ  【管弦楽曲】シンフォニア『ヴェネチアの人』

【協奏曲】ピアノ協奏曲  オルガン協奏曲

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