とてもローカルな話題ですが・・・
私が子供の頃から利用していた京阪電車。(今では「おけいはん」の愛称で親しまれています)
大阪と京都を結ぶその京阪電車で40年以上活躍したテレビカーが
昨日3月31日をもって引退しました 😥
1971年、日本で初めてカラーテレビを車両内に設置したその電車は、当時大変な話題となりました。
高度成長期を迎え人口も増加傾向にあった1970年代。
京都と大阪を結ぶその沿線は住宅が多く立ち並びJRや私鉄がひしめく競合区間でした。
その頃、大阪からノンストップで京都まで走る特急電車として登場したテレビカーは
車内に娯楽性を持ち込んだことで大変な人気となり
夕刻になるとプロ野球のナイター中継を楽しむサラリーマンで賑わったものです。
そして、私にとってもこのテレビカーには深い深い思い出があるのです 😳
小学2年生の頃から、京都芸術大学のピアノ講師をされていた恩師にレッスンを受けれることとなり
その頃住んでいた寝屋川市から京阪電車に乗り毎週京都に通い始めました。
とても恵まれた機会ではあったのですが、まだ幼かった私はその価値も分からず
片道2時間以上かけてのレッスン通いは苦痛以外の何物でもありませんでした(><)
そんな時期にタイムリーに登場したテレビカー!
私の乗車駅・香里園はちょうど大阪と京都の真ん中で、当然特急は止まれませんでした。
でも、レッスン帰りに「乗りたい!乗りたい!!」とせがむ私に
迎え係りの父が、京都からテレビカーで香里園を通り過ぎ大阪まで行き
また大坂から香里園に戻るというわがままに付き合ってくれました。
京都の三条駅でおやつを買い込み、いそいそと乗り込んだテレビカー。
毎週その時間が楽しみでレッスンに通っていたと言っても過言ではありません
昨日31日、中野島駅を出発したラストランには約800人の鉄道ファンが詰めかけ
最後の別れを惜しんだそうです。
私も行けるものなら行きたかった・・・・