山崎あいこピアノ教室

姫路市網干区のマンツーマンレッスンのピアノ教室です

[音楽の便り] 偉大なる作曲家vol.34

February 15, 2013

ーロマン派時代ー

 

ビゼー(ジョルジュ・ビゼー)

1838年10月25日~1875年6月3日

国籍:フランス

 

 

 

ビゼーは声楽家の父とピアニストの母との間にパリで生まれました。

幼少の頃より両親から音楽の手ほどきを受け、恵まれた環境の中で育ちます。

9歳でパリ音楽院に入学しピアノをマルモンテルに、作曲をアレヴィに師事しました。

17歳の時には、グノーの作品から強い刺激を受け、完成度の高い『交響曲』を書き残します。

さらに1856年オッフェンバックが主催するオペレッタ・コンクールで

『ミラクル博士』という曲が入選し、翌年カンタータ『クロヴィスとクロティルド』で

ローマ大賞を獲得し、イタリアに留学します。

 

 

そしてイタリアの文化に触れながら、後の『交響的幻想曲 ローマの思い出』の構想を練ったり

オペラ・ブッファ『ドン・プロコピオ』を作曲したり充実した日々を過ごしました。

留学を終えてパリに戻った彼はオペラ『真珠採り』『美しいパースの娘』を次々作曲し好評を得ます。

61年には最愛の母を亡くし、悲しみのあまり両親のメイドに慰めを求め一子を儲けました。

しかし69年恩師アルヴィの娘との結婚を機に旺盛な創作活動を展開しました。

70年に始まった普仏戦争の時期に、彼の民衆的本能が目覚め始めていきます。

 

 

そして71年からはオペラ・コミック座の歌唱主任を務めます。

この頃ピアノ連弾曲『子供の遊び』を作曲しました。

72年にはドーデの戯曲『アルルの女』への劇付随音楽を書きます。

芝居より音楽の評判のほうが高かったことから、この作品の中から4曲を選んで

大編成のオーケストラ曲『アルルの女 第1組曲』を発表し成功を収めました。

その後73年作曲の序曲『祖国』も高い評価を得ます。

 

 

さらに75年には歌劇『カルメン』が上映されました。

この作品はビゼーの最高傑作であり、ロマン派時代のフランス・オペラの代表的なものになりました。

しかし彼はそのわずか3ヵ月後、心臓発作によりブージヴァルの地で36歳にして急逝したのです。

 

 

『カルメン』は最初台詞入りのオペラ・コミックでありましたが

後にその部分がレチタティーボに書き直されグランド・オペラとして上演されました。

ビゼーの死後わずか4ヶ月のことでありますが

この作品の世界的成功を作曲者が見ることはありませんでした。

ビゼーの音楽は美しいメロディ、曲全体が持つドラティズム、

そして管弦楽法の清新さと色彩感を特徴としていました。

 

 

 

♦主要作品♦

 

【オペラ】真珠採り  美しいパースの娘  カルメン  

【付随音楽】アルルの女 【管弦楽曲】組曲「ローマ」 

【ピアノ曲】連弾曲「子供の遊び」 【合唱曲】交響的頌歌「ヴァスコ・ダ・ガマ」

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