山崎あいこピアノ教室

姫路市網干区のマンツーマンレッスンのピアノ教室です

[音楽の便り] 偉大なる作曲家vol.25

November 22, 2012

 

ーロマン派時代ー

 

ワーグナー(ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー)

 

1813年5月22日~1883年2月13日

国籍:ドイツ

 

 

 

ワーグナーは警察署書記であり、アマチュアの舞台俳優であった父のもとに生まれましたが

彼が生まれて半年後には父は亡くなりました。

その後生地のライプツィヒからドレスデンに移住し、俳優である養父の下で育ちました。

こういった環境のせいか彼の幼少はもっぱら文学に熱中する子供でした。

 

 

8歳の頃ピアノを自己流で弾き始め12歳でレッスンを受け始めましたが

練習を怠ったため上達しませんでしたし、生涯ピアノを習得することもありませんでした。

ただ15歳の頃には戯曲を書くほど文学の素養があり、

18歳でライプツィヒ大学へ入学してからは音楽と哲学を専攻しました。

しかし、そこは放埓な生活に耽り中退。

ですがその後、聖トーマス教会の合唱長のヴァインリッヒから音楽理論を学ぶ機会を得

早くも31年には『演奏会用序曲』などを作曲しました。

 

 

32年からは多難な時期に入り、33年ヴュルツブルグ劇場の合唱指揮者に就任します。

そして34年には指揮者に就任しますが劇場が倒産。

次にケーニヒスベルク劇場の指揮者に就任しますがこの劇場も破産し失業の身となりました。

仕方なく物書きや写譜で食いつなぎますが、41年になるとドレスデン歌劇場に送った

『リエンツィ』が採用され帰国の途につきます。

その後43年、29歳の時には宮廷劇場の指揮者を拝命。

『タンホイザー』『ローエングリン』などの作曲もこの時期のことです。

しかし49年、ドレスデン革命に参加したが為に逮捕状が出て国外逃亡を余儀なくされます。

スイスに亡命した後は音楽、文学、舞踊の三位一体を主張する芸術論の著作を進め

『ニーベルングの指輪』4部作を構想し53年『ラインの黄金』を書き始めます。

 

 

62年にはドイツ追放が解除され64年50歳にしてバイエルン国王ルートヴィヒ2世の招きを受け

国賓待遇でミュンヘンを訪れました。

65年指揮者ビューロの夫人でリストの娘であるコジマとの間に子供が出来同棲を始めます。

67年国王の援助の下『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を完成。

72年からはバイロイトに住みます。

74年には『ニーベルングの指輪』4部作が着想から25年経て完成。

76年自作上演のため建設されたバイロイト祝祭劇場で初演されました。

しかし84年『バルジファル』作曲の翌年、保養のため訪れたヴェネツィアで

持病の心臓病の悪化の為死去しました。

ワーグナーは歌劇の作曲に専心した作曲家であり

自ら台本を執筆し、音楽と文学と演劇が一体となった総合芸術『楽劇』を大成しました。

 

 

 

♦主要作品♦

 

【オペラ】 リエンツィ  さまよえるオランダ人  タンホイザー  ローエングリン

【楽劇】  トリスタンとイゾルデ  ニーベルングの指輪~ラインの黄金  ワルキューレ

      ニュルンベルクのマイスタージンガー  ジークフリート  神々の黄昏

 

 

 

 

 

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