ーロマン派時代ー
ベルリオーズ(ルイ・エクトル・ベルリオーズ)
1803年12月11日~1869年3月8日
国籍:フランス
ベルリオーズはラ・コート・サンタンドレの町医者の家庭に生まれました。
その頃は町にピアノひとつなかったため、音楽には興味を持ちながらも
教育を受けることは出来ませんでした。
18歳の時にパリの医大に合格しますが音楽への情熱を捨てきれず父親に反対される中
ル・シュールに弟子入りし、やがてパリ音楽院に入学します。
その後、コンクールに作品を提出し続け5度目の挑戦で1830年ローマ大賞を獲得し
イタリア留学を果たします。
そして英国劇団の女優スミッソンに大恋愛し
27歳の時その想いを元に『幻想即興曲』を作曲し33年に紆余曲折の末、彼女と結婚しました。
しかしその後の彼は大規模な作品の演奏で興行失敗を続け生活にも支障をきたし
評論の仕事をしながらも自作自演を強行するなど
途方もない情熱と無謀さの中で活動を展開していきます。
交響曲『イタリアのハロルド』や歌劇『ベンヴェヌート・チェルリーニ』等を次々と発表するも
失笑を買うばかりで、妻の公演負債もあり財政は破産寸前でした。
しかしそんな時、パガニーニから2万フランを贈与されかろうじて窮地を脱出します。
その後、又音楽院の図書館主事補にもなり
39年にはガスパラン伯のお陰もあり、彼は五等レジョン・ドヌール勲章を授与されます。
40年以降は海外でのコンサート活動も増え
44年には名著『近代の楽器法と管弦楽法』を出します。
52年には図書館長に昇進し、56年何度も落選し続けていた学士院会員の選挙で選出されます。
しかし、持病の腸神経痛に悩まされ、69年パリの地で波乱に満ちた65歳の生涯を閉じます。
ベルリオーズは、フランス・ロマン派音楽の確立者であり
叙情的内容に固定楽想を使い劇的な表現をしました。
又オーケストレーションも斬新かつ大胆で規模も極めて大きく
彼の音楽はその後、リストの交響詩やワーグナーの楽劇へとつながっていきました。
♦主要作品♦
【オペラ】 ベンヴェヌート・チェルリーニ トロイアの人々 ベアとリスとベネディクト
【管弦楽曲】 幻想交響曲 イタリアのハロルド ロメオとジュリエット
【序曲】 ローマの謝肉祭 【合唱曲】 『レリオ、あるいは生への復帰』
死者のためのレクイエム ファウストの劫罰 テ・デウム 【歌曲】 夏の夜