山崎あいこピアノ教室

姫路市網干区のマンツーマンレッスンのピアノ教室です

[音楽の便り] 偉大なる作曲家vol.12

August 1, 2012

ー古典派時代ー

 

ベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)

 

1770年12月17日~1827年3月26日

国籍:ドイツ

 

 

 

ベートーヴェンは宮廷楽長を祖父に宮廷歌手を父に持ちドイツ西部のライン河畔のボンに生まれました。

4歳頃より父から過酷な音楽教育を受け、6歳の時にはピアノ演奏会に出演します。

その後エーデンにオルガンを、プファイファーにピアノを師事。

さらにロヴァンティーニからヴァイオリンの教えも受けていました。

そして10歳でネーフェに入門し和声や作曲を学び、13歳の時には宮廷の副オルガニストになります。

17歳では宮廷オーケストラのヴィオラ奏者も兼任し、又ボン大学で哲学や文学の講義も受講しました。

 

 

その後92年21歳の時、彼は演奏家として既に名を馳せていたものの

作曲の勉強をさらに続けるためハイドンに師事します。

しかし十分な指導が受けられず93年頃からサリエリやアルブレヒッベルガー等に師事しました。

96年からピアニスト、作曲家としての活動が活発になり『ピアノ協奏曲第1番』は98年に書かれました。

1800年には29歳の時最初の交響曲が初演され、『ピアノ協奏曲第3番』も作曲されます。

 

 

 

ところが、30歳頃になって彼は耳の疾患を抱え出し、自殺まで考えるようになり

ハイリゲンシュタットに転地した時には遺書すら書かれました。1802年10月の事です。

作風はこれを境に変化していきハイドンやモーツァルトなどの影響から抜け出て

主観的で情動的な深い作品を次々に作曲していきます。

交響曲第3番『英雄』 歌劇『フィデリオ』 ピアノ・ソナタ第23番『熱情』はこの時期の作品です。

07年、ウィーン劇場付き作曲家となる夢はかなわず翌年からルドルフ大公に理論を教えるようになります。

ピアノ協奏曲第5番『皇帝』は38歳1809年の作品です。

 

 

その後45歳の時、弟の遺児カールを引き取るものの、

この問題児に悩まされ彼の母との訴訟に苦闘する日々が続きます。

21年には黄疸や貧困でつらい時期を迎えます。

浮浪者と間違えられて留置されたのもこのあたりのことです。

しかし耳の病が進行していく中で、それでも苦悩の中から交響曲第9番『合唱付き』

『弦楽四重奏曲第14番』『ピアノ・ソナタ第31番』『32番』などいくつもの傑作が誕生しました。

26年は病気がちの年になり、翌年にかけては腹部から排水手術を4回行います。

そして27年、ウィーンの地で肝硬変のため56歳の生涯を閉じたのでした。

 

 

 

主要作品

  【オペラ】フィデリオ 【交響曲】第3番『英雄』 5番『運命』 6番『田園』 9番『合唱付き』

  【協奏曲】ピアノ協奏曲第5番『皇帝』 ヴァイオリン協奏曲【器楽曲】ピアノ・ソナタ第8番『悲愴』

           14番『月光』 17番『テンペスト』 21番『ワルトシュタイン』 23番『熱情』

  【室内楽曲】ピアノ3重奏曲第7番『大公』 弦楽4重奏曲第7~9番『ラズモフスキー』

 

 

 

 

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