ーバロック時代ー
バッハ (ヨハン・セバスチャン・バッハ)
1685年3月31日~1750年7月28日
国籍:ドイツ
セバスチャン・バッハは代々優れた音楽家を輩出してきたバッハ一族の中の最大の作曲家で
現在は『大バッハ』と呼ばれています。
彼はアイゼナハで町楽師兼宮廷楽師の父のもとに生まれましたが
9、10歳で相次いで両親を亡くし、その後は長兄のもとで音楽を学ぶこととなりました。
ヴァイオリン・クラヴィーア・オルガンを習得し、教会では聖歌隊員にもなり
1700年にはリューネブルクの教会付属聖ミカエル学校の給費生となりました。
03年、ヴァイマールの宮廷楽団のヴァイオリニストになりましたが
すぐに辞め、その後アルンシュタットの教会オルガニストになりました。
07年に従妹のマリア・バルバラと結婚し(後に7人の子供を儲け、長男フリーデマンと
次男エマヌエルは優れた音楽家となりました。)
その頃からミュールハウゼン聖ブラージウス教会のオルガニストを務めました。
その後14年にはヴァイマール宮廷楽団のヴァイオリニストになり
コンサートマスターとして活動する他、定期的にカンタータを作曲しました。
17年にはケーテンの宮廷楽団学長となり指揮や合唱曲、室内楽曲を書きました。
有名な『ブランデンブルグ協奏曲』はこの頃の作曲です。
20年バルバラが亡くなると、翌年歌手のマクダレーナと再婚。
彼女との間には13人の子供を儲け、後に末っ子のクリスティアンが有名な音楽家になりました。
23年ライプツィヒの聖トーマス教会の合唱長に就任し教会付属の学校で音楽を教え
毎日曜の礼拝用に新作のカンタータを作曲するなど大変多忙な日々を過ごしました。
ここでの仕事は終生続けられ、29年に『マタイ受難曲』34年に『クリスマス・オラトリオ』を作曲。
晩年には『ゴールドベルク変奏曲』や『平均律クラヴィーア曲集第2巻』『ロ短調ミサ曲』が生まれました。
50年、二度にわたって目の手術を受けますが失敗し(ヘンデルと同じ眼科医)
ライプツィヒの地で65歳で脳出血により死去しました。
中世以来発展してきた多声音楽を完成させた功績は大きく、その際たるものが数々のフーガであり
そこには多声音楽の表現しうる全てが込められ複雑な中にも深い精神性が読み取れます。
和声的な要素も多々入っており、当時としては大変進歩的なものであったと思います。
ー主要作品ー
【管弦楽曲】組曲第3番(1731)【協奏曲】ブランデンブルグ協奏曲(18~21)ハープシコード協奏曲(30)
【クラヴィーア曲】イギリス組曲(20-22) 不ランス組曲(20-22) 平均律クラヴィーア曲集第1巻(22)
二声のインベンション(23) シンフォニア(23) 平均律クラヴィーア曲集第2巻(38-42)
ゴールドベルク変奏曲(42)
【声楽曲】ヨハネ受難曲(23) マタイ受難曲(29)【カンタータ】第147番『心と口と行いと命もて』(16)
【室内楽曲】無伴奏チェロ組曲(20) 音楽の捧げ物(47) 【オルガン曲 】トッカータとフーガ ニ短調(07頃)
山崎あいこピアノ教室
ピアノ教室 対象エリア・太子町・姫路市・たつの市・相生市